2020年に読んだ本 BEST 5

Ryohei Tsuda
13 min readDec 24, 2020

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今年は引きこもりがちでよく本を読んだので、その中で最も面白かった5冊を紹介することにした。自分の趣味でノンフィクションが多めだ。

あらすじは Amazon から引用した。

1位… 魔王: 奸智と暴力のサイバー犯罪帝国を築いた男(原題: The Mastermind)

――サイバー麻薬王が築き上げた恐るべき犯罪帝国の全貌とは?―― それは、数億ドル規模の米オンライン薬局事業から始まった…。海を渡る北朝鮮の覚せい剤とコロンビアのコカイン、金の延べ棒がうなる香港の隠れ家、イランとの武器取引、ソマリアの傭兵軍団、フィリピンの暗殺者たち、アメリカ政府でも破れない高度な暗号化プログラム…。すべての背後で糸を引く「魔王」の正体は?〈MCU〉のルッソ兄弟がドラマ化を即決した、想像を超える犯罪ノンフィクションの新時代を告げる一冊。

文句無しの1位。今年1冊目に読んだ本で、1年にわたってお薦め本を聞かれる度にこれを答えていた。

…ある日、シカゴの麻薬取締局(DEA)捜査官が見つけた郊外の小さな薬局からの謎の発送履歴。それを追いかけると次第に見えてくる巨大な「組織」の影、そしてその組織を一人で率いる天才プログラマー「The Mastermind」ことル・ルー。彼の指示で動き回る傭兵や暗殺者、そしてオペレーターたち。組織の「ビジネス」に巻き込まれた一般人。ル・ルーを追う各国の捜査官。全てが終わったかのように見えたその後の話…

捜査官たちが数少ない手がかりから粘り強くル・ルーや部下達の足跡を辿り協力者を集めながら彼を追い詰めていく様子はよくできた刑事ドラマのようだが、これが実際に起った事件というのが驚きだ。

著者自身が報道や裁判の記録に加えてル・ルーの様々な「ビジネス」が行われた現場に行ったり、彼の故郷ジンバブエ(旧ローデシア)の親戚やプログラマーとして働いていた時代の同僚、捜査の協力者など様々な関係者に取材し、その犯罪帝国の背景を明らかにしていく。

序盤は何の脈絡もない点の一つ一つに見えた複数の事件や人物が捜査の進展に従って次々に線で繋がっていくのが気持ちよくて、一気に読んでしまった。

2位… HHhH — プラハ、1942年

ユダヤ人大量虐殺の首謀者、金髪の野獣ハイドリヒ。彼を暗殺すべく、二人の青年はプラハに潜入した。ゴンクール賞最優秀新人賞受賞作、リーヴル・ド・ポッシュ読者大賞受賞作。

第二次世界大戦中の1942年にプラハで実行されたナチス幹部ラインハルト・ハイドリヒ暗殺計画<Operation Anthropoid — 類人猿作戦>を題材とし、作戦の推移と著者が当事者たち(ハイドリヒと2人の暗殺者)の足跡を追う取材活動を交互に折り混ぜた小説。

ハイドリヒはハインリヒ・ヒムラーに続く親衛隊(SS)の №2 で、国家保安本部(いわゆる警察組織)の長官として「ユダヤ人問題の最終的解決」や「長いナイフの夜」等の党にとって重要な政治工作を指揮し、その冷酷さから党内では「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」と呼ばれ畏れられていた。

彼は1942年当時ドイツの工業地帯として戦略上重要な位置にあったボヘミア(現在のチェコ)の総督を務めていた。彼はチェコの反体制派幹部を次々に捕らえ処刑した一方で労働者階級には食糧や年金、保険など手厚い保護を与えて懐柔し、手足を失ったチェコの反体制派は次第に瓦解していった。

ロンドンに設立されたチェコの亡命政府は大した抵抗運動も起こせずナチスの勢力拡大を許すことになったために英国の情報部から強い圧力を受け、要人暗殺による連合国への政治的アピールを企図する。その対象として選ばれたのが当時ヒトラーとヒムラーに次ぐナチスの №3 と目されていたハイドリヒだった。

彼を暗殺すべく、ナチスによって分断された「チェコ」と「スロバキア」から2人の若者ヤン・クビシュとヨゼフ・ガブチークが選ばれ首都プラハに送られるが、計画はトラブル続きで…というのが小説の主な内容だ。

「著者の取材活動も小説の一部」という構成が印象的だったのは、それが単なる執筆のための記録ではなく、著者自身の人生に触れながら「この話を書きたい」という思いや背景が小説の中で明らかにされ次第に深まっていくところで、こういう小説もあるんだなという新しい発見があった。

3位… 聖なるズー

犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。そして、戸惑いつつ、希望のかけらを見出していく―。2019年第17回開高健ノンフィクション賞受賞

著者が日本やドイツで複数の動物性愛者(ズーフィリア — Zoophilia、本書では「ズー」と呼ばれる)に取材し、彼らが何を見て何を考え動物たちとどう関わろうとしているかを著者の視点から記録した本。

この本を手にとったのは自分自身の性的マイノリティに対する関心からだった。2019年に電通が発表した調査ではおよそ11人に1人が LGBT にあたるとの結果が出ている。これは、自分が今までの人生で接してきた人数からすると明らかに多い数字だった(性的マイノリティ ≠ LGBT)。その人の生き方もあるし、自分が単に他人から信頼されてないだけという可能性もある。

個人の生き方とか社会との関わり方について自分の意見を強いるつもりはないが、 LGBT に限らず誰しも何かしら他人と違う指向や認識を持っている中で特定のものだけが(他人に損害を与えるわけでもないのに)社会から差別され不利益を被ることがあるというのは自分は気に入らないし、それを生み出す「断絶」がどこに生じるのかには興味がある ¹。それは自分自身も無自覚にその断絶を生み出している可能性や後悔があったということもある。

本を読んでいくと、身体的な関わり — 動物とセックスするか — には個人差があるものの、ズーたちの共通点としてパートナーである動物のパーソナリティ(この単語自体『人間』を前提としているが、人間であるズーが魅力を感じるようなコミュニケーションを行う主体という意味で使った)を重視していることが分かる。

現代社会では人間同士の意思疎通は言葉の存在を前提としているが、人間以外の動物は人間の言葉で意思疎通をすることはできない。これはズーに対する批判(ペドフィリア Pedophilia と同様の性的搾取ではないか)を呼び起こすこともある。しかし、ズーたちは様々な方法で自分のパートナーと意思疎通し双方がその関係性に同意することができると主張する。著者は取材や共同生活を通じてズーとそのパートナーの関係性の言語化を試みる。

実際、動物のセクシャリティや人間と動物の関係性に対する認識には人によって大きな差があると考えられる。

例えばペットとして動物を飼う場合、その動物のセクシャリティは軽視されることが多い。ペットとして飼われた動物は飼い主である人間の都合で身体的な束縛や去勢を通じて性的な行動を制限される。何が良いとか悪いとか言うつもりはなく、ズーにとっての「パートナー」とズー以外にとっての「ペット」では人と動物の関係性が違うというだけだと思う(ちなみにズーでも普通にペットを飼う人はいる)。

愛について考えながらこの本を読んだ。

4位… 戦争は女の顔をしていない

ソ連では第二次世界大戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった―。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞受賞作家のデビュー作で主著!

人類史上最も多くの犠牲者を出した戦争として知られる独ソ戦(ドイツでは「東部戦線 die Ostfront」、ソ連では「大祖国戦争 Великая Отечественная война」と呼ばれる)に従軍したソ連の女性500人以上に直接取材し、その戦争体験や戦後について記録した本。

第二次世界大戦当時、ナチスドイツは反共を掲げておりソ連とはイデオロギー的な対立が深かったが、外交上は双方とも英国に対抗するため1939年8月に不可侵条約を結んでいた ²。しかし1941年6月22日、ドイツはその不可侵条約を一方的に破ってソ連に対する奇襲攻撃<バルバロッサ作戦>を開始し、4年にわたる大規模な戦争が始まった。

ソ連軍は1930年代に行われたスターリンの「大粛清 Большой террор」による有能な士官の喪失や上層部の判断の誤り等による対応の遅れで甚大な被害を受け、ドイツ軍の侵攻を許すことになった。戦争はたちまち総力戦となり、各地で志願兵の募集が行われ多くの市民が軍に入隊した。

その中に本書に登場する数多くの女性たちがいた。医者や看護婦などの専門技能を持つ者、輸送や土木、炊事洗濯等の支援部隊として働く者、そして歩兵や狙撃兵、高射砲兵、戦車や戦闘機乗りとして最前線で戦う者もいた。彼女らはそれぞれが残酷な戦争体験を経て(生き残った者は)祖国に帰ったが、戦後も自分が祖国を守った誇りと世間からの評価との差(女が戦争に行くなんて…に違いない)に苦しみ続ける。

本書はひたすら、共産党のプロパガンダや華々しい英雄の物語ではなく、個人を虐げる大きな流れ(戦争、全体主義、周囲の声…)に立ち向かって生き残った一人一人の人間の生の声を取り上げている。

最初の章の取材は次のように始まる…

その家に行くことになったきっかけは、新聞の片隅にあった小さな記事だった。「ミンスクの車両工場で最近、経理主任のマリヤ・イワーノヴナ・モローゾワの退職のお祝いがあった。戦争中は七十五名を殺害し狙撃兵として十一回表彰を受けている」ということだった。そのような戦時の職務と今の彼女の平和な職業がそぐわない感じがした。新聞にはありふれた日常的な写真が載っていた。

著者のスヴェトラーナ・アレクシェ−ヴィチはベラルーシで活動していたジャーナリスト。ベラルーシは独ソ戦の最激戦区の一つで、軍人・民間人あわせて当時の国民の4人に1人が犠牲となった。

5位… 多数決を疑う――社会的選択理論とは何か

選挙の正統性が保たれないとき、統治の根幹が揺らぎはじめる。選挙制度の欠陥と綻びが露呈する現在の日本。多数決は本当に国民の意思を適切に反映しているのか? 本書では社会的選択理論の視点から、人びとの意思をよりよく集約できる選び方について考える。多数決に代わるルールは、果たしてあるのだろうか。

ある日ある場所でビールを飲んでいたら同席した人と「ラディカル・マーケット」という本の話になり、その本が好きならこれもと薦めてきたのがこの本だった。

人間が集団としての意思決定をするとき、個々の人間の意思を集約して何らかの選択を行い、その他の選択肢を捨てる。例えば自分たちの代表を選ぶときは、一人一票の選挙を行って最も多く票を獲得した候補者が当選し代表を務めるのが普通だろう。

本書ではフランス革命期の科学者ボルダとコンドルセが考え出した特殊な多数決の解説から出発して、多数の人々の意思をひとつに集約する技法を研究する「社会的選択理論」という社会科学の一分野の歴史や成果について紹介していく。

「多数決」という単語を見ると常に多数派が勝つという印象を受ける。実際ほとんどの場合はそうなるのだが、例外もある。

例えばある国の代表1人を選ぶ投票を行うに際して、2人の有力候補(サトウ、スズキ)がいる場合を考える。サトウは投票全体の48%、スズキは52%ほどを獲得すると予想され、選挙はスズキ有利に傾いていた。

しかしここで第三の候補者(タナカ)が立候補し、サトウとスズキの中間からややスズキ寄りの政治的立場を取ると表明したとする。これによってスズキの票は割れ、結果としてはサトウが全体の47%、スズキが45%、タナカが8%を獲得しサトウの当選が決まった。

ここで不思議なことが起こった。タナカやその支持者はサトウが当選するくらいならスズキに当選して欲しかったはずだ。しかし、タナカの立候補は結果としてサトウを利することになった。

よく似たことが2000年のアメリカ大統領選挙でも起きた。選挙は共和党候補ジョージ・ブッシュと民主党候補アル・ゴアの対決となったが、第三の候補者ラルフ・ネーダーがアメリカ緑の党から立候補しゴアの票が割れたことでブッシュが当選することになった ³。

このように、単純な多数決では直感に反する(言い換えると、多数の人間の意志が効果的に集約されていないと考えられる)結果が得られることがある。本書では様々な事例や研究を紹介しながら、多数決を理論的に考察していく。

¹ 「ズー」に関していうと例えばキリスト教圏では動物性愛はご法度だし(旧約聖書にそう書いてある)、それ以外の宗教でもそれを禁止しているものは多い。そのため、カミングアウトしているズーフィリアは日本でもドイツでもほぼゼロに等しい。自分は断絶を生み出す文化が良いとか悪いとか言うつもりはなくて、その存在を認識していかないと自分自身も気づかぬ内に社会から差別される側になるのではという漠然とした怖れがあった。

² ソ連の指導者スターリンはナチスドイツに対する英仏の宥和的姿勢(1938年のミュンヘン会談など)から「英仏がドイツによるソ連侵攻を裏で黙認しているのでは」との疑念を抱いており、ドイツは予定していたポーランド侵攻に際してソ連を敵に回したくはないという両者の利害の一致があった。

³ 単純な得票数はブッシュよりゴアの方が多く、結果を決める選挙人の獲得数も僅差だった。ネーダーの政策はブッシュよりゴアに近く、ゴアの票割れが予想された。ネーダーの他にも泡沫候補はいたが、最終的にネーダーが獲得した得票率(2.74%)を見るに選挙の結果に影響を与えた可能性は高いといえる。

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