Slack が上場するので目論見書を読む
私の愛する Slack が NYSE に上場するらしいので Form S-1 を読む。
Slack、IPO申請書を公開 過去1年の売上高は4億ドル超、純損失は1億ドル超(IT media)
事業の主要な指標
Slack が公開しているデータのなかで一際目を引くのが68ページにある下記の ARR(Anual Recurring Revenue)。これはある Fiscal Year (決算期)に初めてお金を支払った Paid User がどれだけ積み上がっていくかを表す。Slack は 1月決算なので、 FY 2015 は 2014年2月1日〜2015年1月31日。ちなみに Slack が始まったのは2013年8月なので、このグラフが Slack の歴史を表しているとも言える。
企業向けのソフトウェアとしては他と一線を画す成長速度かもしれない。 Slack の Paid Customer (課金プランを使っている3人以上の組織を1 Paid Customerと数える)は年々増え続けている。
$100K 以上の支払いを行っている Paid Customer の数を指標として追う理由は、 Slack が組織と共にスケールできることを示すことが「より大きな組織」を惹きつけ事業の成長に繋がると考えているからとのこと。実際に、FY2019 で $100K 以上の Paid Customer から得る売上が全体の 40% 近くを占める。
In fiscal years 2017, 2018, and 2019, approximately 22%, 32%, and 40%, respectively, of our revenue was generated from our Paid Customers >$100,000.
なお、 Net Dollar Retention Rate の定義は金額(Dollar)ベースの「同じ Paid Customer が前の12ヶ月と比べてどれだけ多く支払っているか」だそうなので、これが 100% 以上ということは
- Slack の既存の Paid Customer の組織がより大きく拡大した
- 既存の Paid Customer 内でより多くの人が Slack を使うようになった
- Paid Customer が他のサービスに移行しなかった
ことを意味する³。先に貼った ARR の積み上がり具合を見るに Net Dollar Retention Rate の伸びが弱まっている(171% → 152% → 143%)のは年契約や複数年契約の割引によるところもありそうなので一概に悪いとも言えないかもしれない。長期契約が増えると Slack の収益基盤がより強固になるためだ。
DAU と売上
2019年1月期の売上は $4億。DAU が1,000万人で売上が$4億だと DAU 一人あたり$40/年(とても雑な計算だが…)。
比較対象として、事業は全く異なるが facebook の FY2018 の DAU が平均で約 1,500M 、売上が $ 55,000M なので、DAUあたり売上は $ 37/年 くらいでほぼ Slack と同じ。なお、この DAU あたり売上は facebook の拡大に従って伸びている。 2012年12月の Annual Report を見ると、2012年12月の平均DAU は約 570M で売上は $ 5,089M だから DAU あたりの売上は $ 9/年くらい。
現在は Slack の subscription のみが売上に計上されているが、今後は他のビジネス展開で一人あたり収益が伸びていくと考えると夢が広がる。
Revenue Recognition 収益認識
US の企業の決算を初めて読むときは、必ずAccounting Policies and Estimates や note (注記)に書いてある Revenue Recognition
の節を読むようにしている。ここには会社が適用している会計基準や収益モデルが文章で簡潔に書いてある。
Slack は使ってないユーザー分を credit として返却してくれるのだが、それは deferred revenue
の一部として(負債に)計上され将来の売上と相殺される。現金での返却はしない。
We maintain a fair billing policy, under which certain organizations on a paid subscription plan are entitled to credit if they have not used the entirety of the contracted number of users for which they have paid during the contractual term of the arrangement. These credits, accounted for as a part of deferred revenue, may be carried over to offset future billings and are not refundable for cash.
ちなみに、最近の日本の会社だとメルカリがルール 144A で英文目論見書を出している。日本では有価証券届出書の添付書類として開示されているので、興味があればぜひ。
財務諸表を読む
まずは Slack の連結貸借対照表を FY 2018 と FY 2019 の2年分並べてみる。
現預金以外の流動資産が非常に多いことが分かる。この殆どは note によるとMarketable securities
つまり市場性がある(売買目的の)有価証券である。
売掛金 Accounts receivable
の FY 2019末の実績は $ 87,438K 。FY 2019 の売上は $ 400M で、伸び率を考えて期末の1月あたり売上を $ 40M とすると売上の2ヶ月分と少しが売掛金になっている。Slack は前払い&クレジットカードで代金回収しているが、信用力の高い顧客だと請求書での支払いにしているのかもしれない(代金回収の手数料を支払わなくて済む)。
固定資産の半分弱は Property and equipments
で、オフィス家具(購入よりリースが多い)や資産化された内製ソフトウェアの開発費が計上されている。
残りは主に Strategic Investments
や Goodwill (のれん)
で、これらは Slack が行っている投資を示す。 Slack は Slack Fund として有望かつ Slack と協力して Slack の顧客や開発者向けの製品やサービスを開発する会社⁴に投資を行っている。 note によると、Slack は 2015年12月の Slack Fund 設立以来 $ 8.8 M を拠出したとのこと。
負債の大部分は Deferred revenue
で、 FY 2018 は負債総額の約 70.3% 、 FY 2019 は約 67.7% をこれが占めている。これの大部分は長期契約に伴う収益の前受だと思われるが、 Revenue Recognition の箇所で触れたように「契約済み未使用分の返金 credit」も含まれている。
次に、連結の損益計算書を並べてみる。
売上は FY 2018 -> FY 2019 で約2倍(2億ドル→4億ドル)になっているが、継続的に $ 140M 程度の赤字を出している。 BS を見ると純資産が $ 841M あり、上場によって今後の資金調達もしやすくなるので、積極的にお金を使ってでも収益を伸ばすことを優先しているのかもしれない。
Operating expense の内訳を見ると、 Research and development
が目を引く。ここには主に製品の機能開発や保守をする部門の人件費が含まれている。また、単に給与だけでなく、株式報酬(Stock Based Compensation)も含まれている。株式報酬の内訳は下記の通り。
今働いている or 過去に働いていた従業員が上場前に Secondary でその会社の株式を売買するのは日本だと少ないかもしれない。ストック・オプションの形で渡しておいて、上場後に行使・売却するのが一般的だと思う⁵。
なお、 Sales and marketing
は販売やカスタマーサポート部門の人件費や契約獲得に応じた営業向けのボーナスが含まれており、 General and administrative
には財務や会計、法務、人事や管理部門の人件費が含まれている。
広告の費用は意外と少ない。FY 2018 と FY 2019 の対売上比は 15% 程度。
まとめ
- Slack は継続率が異常に高い
- 売上は $400M /年だが、もっと伸びそう
- お金たくさん使ってて赤字
¹ DAUの定義は「Free か Paid かに関わらず、特定の24時間以内にメッセージやファイルを送るか見るかした人」。
² Slack App や Integration と呼ばれるツールを作る開発者のこと。他のアプリケーション(例えば Dropbox や GitHub)から Slack のメッセージを送ったり、 Slack を通じて他のアプリケーションを操作することができる。
³ 無料で使っていた期間がある Customer は除いているとのこと。
⁴ early stage (資金調達ラウンドの初期)かつ別に Lead investor がいる場合に限る
⁵ 東証の有価証券上場規程により日本ではほぼ全てのストックオプションは上場前に行使できないので、付与されても上場前には株主にすらなれない。そして、上場前に退職すると多くの場合ストックオプションを放棄する契約になっており、上場まで在職しないと恩恵を受けられない。